第61回群像新人文学賞には2003篇の応募があり、
青山七恵、高橋源一郎、多和田葉子、辻原登、野崎歓の5氏による
選考の結果、下記のように決定いたしました。
受賞作と受賞の言葉、選評は群像2018年6月号をお読み下さい。
【群像新人文学賞 当選作】 「美しい顔」
北条裕子 受賞のことば
小説を書くことは罪深いことだと思っています。この小説はそのことを特に意識した作品になりました。それは、被災者ではない私が震災を題材にし、それも一人称で書いたからです。 実際、私は被災地に行ったことは一度もありません。とても臆病で、なにもかもが怖く、当時はとても遠くの東京の下宿から、布をかぶってテレビを見ていたのです。現実が恐ろしくてしかたがなかったのです。あまりにも大勢の被災者たちの喪失を想像することが恐ろしかったのです。また恐ろしさは、自分が思考の止まった人間であることを自覚させられることにもありました。あまりにも自分のキャパを超えてしまった現実に対して、どう考えていいのかわからなくなりました。私にとって思考することは私そのものでありましたから、なにか大事なものを取り上げられてしまった虚しさに襲われたのです。私は自分がいったいどうしたいのかもわからず、悶々と、事態が静まるまで時間を稼いでいたかったのです。隠れるようにして、いえ、実際に隠れて過ごしていたのです。同世代の友人らはボランティアスタッフとして東北へ出向いていきました。二十代の自分たちはそうするにふさわしいだけのエネルギーと時間を持ちあわせていました。あまりあるだけ持っていたといってもいい。それなのに私は、終始、東京の狭い下宿で布をかぶってテレビを見ていました。時が過ぎるのを待っていたのです。 そのくせです。 実際に時が過ぎ、テレビでも震災のことはあまりやらなくなり、状況が静まりかえってから(あくまでも静まりかえったようにみえてから)その間にさんざん溜め込んでしまったなにか得体の知れない不快なものを、私は私の中に自覚しました。それはおそらく憤りでした。自分だけが、なにもかもを未解決にされたまま取り残されてしまったような、そういう憤りでした。憤りが、私の右ほほを打ちました。 私は思考を再開しました。なぜなら私は、私の不快さに「意味」を見いださずにはいられなくなっていたからです。そうせずにはいられなくなるほど不快さは私の胸にどうしようもなくつかえるようになり苦しく、その苦しさから逃れたかったからです。 |