「近代とは、愚行に対する恐怖、愚行を忌避しようとする意志によって定義づけられる時代である」と四方田犬彦は言う。ここで「近代」とは、西洋近代を意味する。一八世紀以降の西洋においては、一方では、愚行を「外部から到来するもの」、「偶発的なもの」とみなし、そこから解放されるための努力がなされた。「知識の獲得と冷静な配慮によって、人は愚行を免れることができるという確信が、ここでは暗黙のうちに前提とされている」。しかし他方では、同じ西洋近代において、愚行を「人間存在の根底に、本来的に横たわっているもの」、「人間の内側に宿る宿命のようなもの」とみなす立場も存在してきた。こちらでは、「知性が愚行を軽減してくれるという信念」が「迷妄」として退けられる。むしろ「知識は逆に、愚行を促進してしまうことが少なくない」というのだ。
したがって、後者においては、前者の想定に基づく愚行撲滅の企てこそが真の愚行とみなされることになる。『愚行の賦』の中核をなす諸章では、フローベール、ドストエフスキー、ニーチェの三人が、後者の観点を共有しつつ、それぞれのやり方で愚行との格闘を生きた著作家として主題的に論じられる。この後者の観点は、「愚行を忌わしいものであると考えること」においては前者の観点と変わらず、じっさいこの三人はいずれも、一面においては、彼らが生きる西洋近代の至るところに愚行を見つけ出し、その告発に身を捧げていた。けれども彼らは、そうして告発する愚行から、自らもまた決して逃れられはしないこと、愚行の分有においては誰もが対等であることをはっきりと意識していた。
そればかりではない。彼ら三人はまた、愚行を宿命として甘受するのみならず、それに抗しがたく魅了されてもいた。フローベールは『聖アントワーヌの誘惑』において、「世界の多様性そのもの」である愚かさを徹底抗戦の果てに受け入れる隠者を描き出した。「愚かさは知的認識〔…〕を助け、予想がつかないまでにその領域を拡大してくれる」。ドストエフスキー『地下室の手記』の語り手は愚行を糾弾する一方で、「僕らの個と個性とを僕らに残しておいてくれる」唯一のものとしてのそれを切実に求める。ニーチェは奴隷道徳の愚かしさを弾劾しつつも、既存の知的枠組みを相対化し、「まだそれを計る秤りが発明されていない価値を察知する」ための「高潔なる愚かさ」の必要を説く。
「19世紀の愚行認識」の代表者として本書で繰り返し言及されるこの三者が、キリスト教との関係はそれぞれに異なりながら、いずれもイエスの形象との多少とも屈折した関係を指摘されているのは興味深い事実だ。ドストエフスキー『白痴』のムイシキン公爵は、「この世界にあって生じるすべてのことは、あたかも自分の責任であるように立ち振舞う」という極限的に無垢な人物で、「善の属性としての愚を純粋状態において貫」き、「ただみずからを無条件のまま供犠の祭壇に捧げる」この主人公は、当初の構想では「キリスト公爵」の名を与えられていた。フローベールは「世界の中心に鎮座し、頑強な秩序を形作っている」愚かさをまっすぐに見据えて、世の愚行のいっさいを「あえてわが身に招き寄せ、引き受ける」。こうして自らを「犠牲の祭壇に乗せ、殉教者たらしめる」戦略を採用することで、彼はいわば─ドストエフスキーと対照的に、キリスト教的聖性に対し冷ややかな態度を貫きつつも─、愚行によって構造化された世界のなかで「イエス・キリストを詐称」していたのだった。ではニーチェはどうか。この徹底したキリスト教批判者は、発狂の前年に著した『アンチクリスト』でイエスをその死後にパウロが打ち立てた宗教から切り離し、両者を対立させている。「脆弱で愚かな道化神」と言うべき「白痴」としてのイエス理解が、ドストエフスキーの影響下に形成されたことを四方田犬彦は強調する。『アンチクリスト』脱稿後にニーチェが取り組んだ『この人を見よ』が、表題そのものからして自らをイエスに擬するものとなったことは誰もが知るとおりだ。
キリスト教はそもそも、愚行をひとつの契機として内包する宗教である。過去の愚行を告白し、改悛することを通しての内面構築のシステムは、世俗化のプロセスを経たのちにも西洋近代の精神を捉え続けた。こうした観点からすると、伝統的な理解から離れてイエスの形象を捉え直し自ら生きようとすることで、フローベール、ドストエフスキー、ニーチェは彼らなりのやり方で、愚行の否定によるのではなく愚行それ自体を通しての救済のヴィジョンにかたちを与えようとしていたのだと言うことができる。他の著作家の姿勢はどうだろうか? 四方田犬彦は、彼ら三人を主題的に論じた諸章に続く幕間的な一章において、まずはワイルドとパゾリーニ、ついでパウンドとハイデガーを対比的に取り上げながら、「ひとたび愚行がなされた後に、それがいかに回収され、あるいは放棄されるかという問題」にひととき取り組む。悔悟の道を選んだワイルドとパウンドよりも、「その後の人生においても〔…〕欲望に忠実なまま、愚行に耽溺することを決意」したパゾリーニ、ナチスに期待をかけていた時期について生涯沈黙を守ったハイデガーのほうに、著者はいっそうの関心を示しているように見える。
ヴァレリーとバルトを扱う二つの章を経て、『愚行の賦』は最後に、「東洋」あるいは「アジア」における愚行論の素描を企てる。主題的に論じられるのは老子と荘子、そして谷崎潤一郎だ。「老荘思想から谷崎へと到る広大な領域のなかに、愚行を礼賛してやまない東アジアの文学的想像力は悠々と横たわっている」。こうして四方田犬彦は、「数多くの陰鬱な西洋の文人につきあってきた」果てに、抑圧も葛藤もなく愚行のうちに身を浸す境地を、古今の東洋の文人のもとに見出す。いささか単純な図式だろうか? 例えばメニッペア(「真面目な茶番」)に通じる原理が洋の東西を問わず実践されてきたという指摘などに明らかなように、本書の記述はこうした図式に還元されるものではない。地域的・歴史的な条件に配慮する一方で、それを超えた「普遍的な相」を探究する『親鸞への接近』での問いかけは、本書にも健在であるように思う。