独り舞

李 琴峰

1760円(税込)

自分と対話すること

岩川ありさ

 群像新人文学賞の選評で、選考委員の多和田葉子は、「この小説の魅力は文字にある」と指摘し、「日本語における漢字とかなの関係が固定したものでないことを示」す文学の系譜に位置づけた。本作において、「彼女」という三人称代名詞で呼ばれる台湾出身の主人公の台詞には、要所要所で、漢文の隣りに書き下し文が付されている。例えば、「人生不相見、動如参与商」という杜甫のよく知られた詩「贈衛八処士」について話すとき、「彼女」の台詞には、「人生不相見、動如参与商(じんせいあいみざること ややもすればしんとしょうのごとし)」とルビがふってあり、日本語の書き下し文が付してある。つまり、本作の書き手は、漢文を中国語として理解するだけではなく、日本語の訓読方法によって翻訳して書いてもいるのだ。書き手がここで行っているのは訓読的な翻訳だ。漢字という共通の文字があることで、原文は姿を消さない。多和田は、「「死なない」というフィクション」をつくる小説としても本作を捉えているが、かつて書いた言葉を異なる文脈に置くことで、新しい意味を獲得してゆく訓読的な翻訳の過程は、死を強く意識してきた「彼女」を生へと連れ出す仕掛けの一つとなっている。

 台湾の彰化県で生まれ、「迎梅(インメー)」と名づけられた「彼女」は、子どもの頃から、周囲との「乖離」を感じており、「お姫様と王子様が結ばれる童話」ではなく、「オズの魔法使い」に登場する美しい北の魔女への憧れを抱いている。小学生の頃、同じクラスになった施丹辰(シーダンチェン)に惹かれたことで、「彼女」の違和感は確信に変わる。「彼女」が「乖離」として感じてきたのは、異性愛が中心とされる社会の内側にいながらも、いつも疎外されている感覚だ。丹辰は不慮の事故で亡くなり、「彼女」は深く沈み込む。しかし、周囲にいる人々は丹辰の死が原因だと思いもしない。「彼女」は、愛する人を失くしたと言葉にすることもできず、傷は疼き続ける。小学校の卒業アルバムをめくっていると、自分が撮影した丹辰の写真が現れる。「彼女」はとめどない涙を流し、丹辰に詩を捧げる。

  於是有天我會想起,想起那:

   在開始前便已結束的故事

  そしていつか私は思い出す──

   始まる前に終わってしまった物語を

 このようにはじまった詩は、死した丹辰の姿形を捉える。オルガンでモーツァルトの「レクイエム」を弾いていた丹辰の姿を重ねて、「彼女」は、あまりにも早く死んでしまった丹辰が残した「鎮魂の旋律」に耳を澄ます。いつのまにか部屋には日暮れが訪れている。窓から射し込んだ夕陽を遮って、自分の影が目の前に伸びる。それは、「漆黒の影」であり、丹辰の瞳や髪と同じ色の黒だ。このとき、「彼女」は、「生きていくためにはこの色を見つめていなければならないのだ」と知る。「彼女」が本作の最後にたどり着く、「微かな光も見えない真夜中の舞台で、真っ黒な服を着た一人のダンサーが、物音一つ立てずに舞ってい」る美しいイメージはここから生まれたのではないだろうか。真っ暗闇で舞いながら、死に足もとを攫われないでいるためには舞い続けるよりほかない。

 台中市にある名門女子校に進学した「彼女」は、「小雪(シャウシュエ)」という愛称で呼ぶことになる恋人の楊皓雪(ヤンハウシュエ)と出会う。詩の朗読をしたり、小説を書いて見せあったり、彼女たちは文学を通じて、互いの内面を知ってゆく。彼女たちに影響を与えた邱妙津の小説『ある鰐の手記』(一九九四)の主人公「拉子(ラーヅ)」は、同性の水伶への愛に苦しみ、「女を愛する自分という自意識」を消し去ろうとする。同性への愛に苦悩する「拉子の時代」は二一世紀になって終わりを告げたように見える。彼女たちは、邱の出身大学である台湾大学へ共に進み、「悲劇で終わらない『鰐の手記』を、一緒に書こう」と話しあう。しかし、その直後、強姦の常習犯の男から、「彼女」はレイプされる。小雪とも別れ、周囲の人々との軋轢も広がり、台湾大学での四年間は、「彼女」にとって苦しい時間になる。「彼女」は、中国語では「紀恵(ジーホイ)」、日本語では「紀恵(のりえ)」と読める「趙紀恵」と名前を変える届けを役所に出してから、日本に渡る。新しい人生を歩みだした「彼女」は、大学院を修了し、就職するが、「自分の過去」を打ち明け、一緒にいたいと願う高田薫から、これまでのことを話さなかったことは欺瞞だと拒絶される。また、高校時代の同級生の逆恨みによって、レズビアンであることも、レイプされたことも、SNSでアウティングされてしまう。死ぬことを決意し、最後の旅に赴いた「彼女」は、多様な人々が隊列に加わっている、世界最大規模のシドニーのパレードの様子を見て、幼い頃から感じていた「乖離」から解き放たれる世界を垣間見る。死へと歩んでいた「彼女」は、どのような答えを出すのか。単行本になる過程での加筆は「彼女」の「独り舞」の意味を際立たせる。

 そこには観客もいなければ、パートナーもいない。ダンサーはただ踊っていた。腕で弧を描いたり、片足を軸に回転したり、跳躍して宙返りしたり。いつまで舞い続けるかは分からない。(本書一八一頁)

 この場面から、ハンナ・アーレントが指摘した「孤独(solitude)」と「寂しさ(loneliness)」の違いを思い浮かべるのはそれほど無理がないだろう。孤独であるとき、人は自分自身と共にあり、自分自身と語りあっている。「彼女」が、暗闇の中で、「独り舞」を踊り続けるのは、自分自身と対話するためだ。つながりすぎる時代において、本作が示した孤独は大きな問いを投げかける。