通りすがりのあなた

はあちゅう

1430円(税込)

半径六三七八キロメートルの孤独

岩川ありさ

 ブロガーとして知られるはあちゅうにとって初めての短編小説集に収められているのは、どれも一瞬触れあっては消えてゆく一期一会の物語だ。最初に置かれた「世界が終わる前に」では、語り手の「私」は、「書き留めておかないときっと近い将来、忘れてしまう」出来事について語りはじめる。私たちは、すでにこの時点で、時間は忘却をもたらすが、出会ったことは忘れないという、この短編集を貫く主題に引き込まれる。本書のすべての語り手は、忘れやすい自分に怯えながら、それでも出会った記憶を書き残そうとする。しかし、この怯えこそ私たちが何かを書く動機ではないだろうか。

「世界が終わる前に」で、「私」が思い出すのは、二〇〇六年の夏、交換留学で訪れた香港の大学で出会った、台湾系アメリカ人のマイケルのことだ。留学先で孤独を感じる「私」とは対照的にマイケルは「絵にかいたような人気者タイプ」。しかし、ひょんなことから親しく話をするようになった二人は、「男でも女でも、友達でも恋人でもない、新しい関係性を作」って行く。言葉の壁や育ってきたバックグラウンドなど様々な隔りを越えてゆく二人だが、「私」はマイケルの秘密を知る。マイケルは、陰謀論と言われても仕方がないような「世界の崩壊」を信じているのだ。留学を終え、一〇年が過ぎた頃、「私」は、フェイスブックで繫がったマイケルが、「深刻な精神の病気で療養中」だと知る。しかし、「私」は、人々が何と言おうとも、自分が今見ている世界と、彼の中にある世界は、隔りながらも、隣りあっているという立場を崩さない。孤独な世界と世界が触れあった瞬間、確かに二人は一人では生きられない新しい関係性を築いた。「私」はその瞬間を今でも憶えているのだ。しかし、時を経るほどに忘れそうになる。だからこそ、マイケルとの間に生まれたそのめぐり合わせを「私」は書き残そうとする。

 この短編集のもう一つの主題は心と身体の密接な関係だろう。「妖精がいた夜」は、「心が傷ついている人」のための妖精派遣サービスをめぐる小説。「フェアリー」と呼ばれる「妖精」の女の子は、彼氏と別れてどん底にいる語り手の真美を手厚くケアする。息がかかるくらい近くで一緒に眠ってくれるフェアリーに、「何かを許されている気」がする真美は、他者のもとに飛び込むのが得意ではない人なのだろう。しかし、妖精がいた夜、彼女は、自死した、会社の先輩のことを思い出し、もっとじっくり色々な話をしていたら、もっと近くなれたかもしれないと後悔する。そのことに思い至るのは、疲れ果てた身体をケアしてくれるフェアリーの存在があったからだ。「六本木のネバーランド」でも、涙が出ないところまで追いつめられた「外資銀行マン」の森さんに一枚のバタートーストの効用を説く語り手が登場する。森さんは、ニューヨーク出張の間、六本木の自室を彼女に貸してくれていたが、心身ともにぼろぼろに。お礼として彼女が森さんに送るのは人生で一回だけ使える非常用ボタン。心が折れそうなときにメールをくれたら、いつでも会いに行く約束だ。それは遠くて近い関係性が生む生命線だ。

「あなたの国のわたし」は、イギリス育ちの日本人の友人・マリアをめぐる小説。語り手の「私」は、マリアの「名言」を「マリア語録」として書きとめている。間違いとされる言葉の面白さを感じながら、マリアの日本への思い込みを解きほぐしてゆく「私」はまるでマリアの姉のよう。しかし、マリアの故郷のイギリスに行くとこれが逆転する。自分の当たり前が崩れたところで生まれる新しい関係性がそこには立ち現れる。一七歳の夏にパナマに留学した女性が語り手の「友達なんかじゃない」にも、「いろんなものが逆転してしまう」という言葉がさりげなくはさまれている。確かに、私たちは、場所や文脈によってまったく違う見方をする。思い込んだり、身構えたり、鎧うこともある。だからこそ、たやすく名前をつけずに、出会った他者を虚心になって見つめることはできないか。別の関係性を作れないか。語り手の「私」が見出したのは、「一生忘れない人」という言葉だ。確かにこれならば、友だちではなくても、いつまでも大切な人でいられる。

「サンディエゴの38度線」は、東京で出会ったアメリカ人の留学生・イーサンに誘われてサンディエゴで一夏を過ごすマナミの物語。イーサンのルームメイトのアレックスは、韓国系アメリカ人で、イーサンとはソウルメイトというくらい気があう。しかし、アレックスは危険な行為をして刹那的な生活をするように。イーサンの方も、就職活動がうまく行かずに苛立っている。二人のベッドルームは互いに不可侵で、その境界のことを「軍事境界線、38度線」と呼んでいる。イーサンと別れて、日本に帰ることにしたマナミがアレックスにいうのは、「I like you」という言葉。「See you(またね)」ではなく、「Thank you(ありがとう)」。一期一会の寂しさと喜びがここにはある。

 この短編集の最後に置かれているのが、「世界一周鬼ごっこ」。就職活動を終え、卒業を残すのみになった大学生・朝井リサは、高校時代からの夢だった世界一周旅行に出る。ボリビアの首都ラパスで高山病にかかった彼女を助けたのは世界二周目をはじめたばかりのコウさん。彼は鬼ごっこのようにリサの一つ先の滞在地へと逃げて行く。どこにいても何かを背負って生きていることに気がつく二人の鬼ごっこは人生そのものの比喩のよう。それはどこまで続き、誰に会えば終わるのだろう。地球の赤道半径は約六三七八キロメートル。その中で私たちは孤独だ。それでも、かつて出会った誰かが、私を、あなたを生かしてくれることがある。その瞬間、「通りすがりのあなた」はかけがえのない存在になる。この短編集にはその可能性を希求する祈りがある。