この長篇小説をひとりの読者として読み始めてすぐに僕はひとつの判断をした。これは東京の電車の話として読める、という判断だ。詳述は省略するが、東京は一日に何本とも知れない電車の規則正しい運行の総体だと僕は思っている。そんな僕にとって、東京の電車について小説で読めるのは、じつにうれしい。
新井田千一という男性の一人称の語りで、まず四分の一ほど続く。一人称の語りのせいだろう、きわめて平明でわかりやすく、そのわかりやすさは一定のところに保たれる。最初の語り手は西武池袋線の人だ。「西武池袋線で下って行って埼玉に入ったあたり」に彼の実家があり、幼少期から二十歳までそこで過ごしたという。
「池袋から西武線で下って、という言い方は、実家からも西武線の沿線からも離れて久しい今現在になってからの言い方で、かつては西武池袋線を上って池袋に出る感覚だった」
というような、上りと下りが逆転することにともなう意識の変化の丁寧な説明に、読者として僕は感心した。この引用や説明は、最初のパラグラフにある。
二〇〇一年、大学三年のとき、彼は実家を出てアパートでひとり暮らしを始める。大学の写真サークルの先輩から引き継いだ、汚くて古い木造のアパートで、部屋代は三万円、場所は東長崎の駅から江古田のほうへ歩いて五分の、かたばみ荘だ。うれしいではないか。東京の電車は木造のアパートと、僕の理解のなかでは分かちがたく結びついているのだから。
西武池袋線を、けっして知らないわけではない、という程度には僕も知っている。各駅停車しか停まらない東長崎はかなり知っている。あちこちに妙な土地勘がいまもある。二〇〇一年当時新しい駅舎にする工事は始まっていたという。以前からある駅舎の描写を一部分だけ引用しておこう。
「古い駅舎は柱も剝き出しのコンクリートでひびや染みが目立ったし、壁や屋根はトタンみたいな鉄板で錆びが浮いていた。床もタイルではなくてアスファルトみたいな黒っぽいやつで、全体に古びて陰気だった。私はそれがいやだったかと言うとそんなことはなく、むしろ好ましく思っていた」
かつての東長崎の駅の、このような部分を「むしろ好ましく」思う彼に僕は期待した。その期待にはすぐに応えがあった。築四十年の古くて汚い木造アパートである、かたばみ荘の描写を僕は引用したいのだが、それによってこの書評の文字数が制限を受けるのは避けたい。言及するだけにしておこう。
東京のあちこちを間断なく走り続ける数多くの電車と、東京のいたるところにいまもまだある木造のアパートの部屋は、わかりやすくたとえるなら三角形の二辺であり、三角形をかたち作って均衡させるもう一辺は、ほぼかならず、なんらかの性的な事柄だと僕は確信している。
十七歳の高校生としてまだ実家にいた頃、まず最初の語り手である彼、新井田千一は、半年ほどのあいだ、文通をしていた。文通相手の名は成瀬文香といい、この名前を彼は「なんだか艶っぽく官能的」だと受け取った。自分は二十五歳の看護婦だと、成瀬文香は手紙に書き、住所は札幌だった。
この文通の内容はおたがいに性的なことに終始し、「扇情的な文言」を書きつらねたという。彼は相手の写真を熱心に所望したがその思いはかなえられず、文通は半年で終わった。いくら彼から手紙を書き送っても、相手からの返信は途絶えたままだったからだ。しかしこの文通は彼に強い影響を残した。
アパートの二階の部屋に住むようになった彼には絵里子という恋人が出来た。初めて彼の部屋へ来た彼女は、「ここまでおんぼろとは思わなかった」と、その部屋を評したという。その彼女とはアパートの部屋で性的な関係も結ぶこともあった。かつての文通相手から届いた返信の内容を思い出して興奮し、絵里子に手をのばすこともあったけれど、彼の想像のなかでは「肉感的だった成瀬文香の体は、小さくて華奢だった絵里子の姿とはうまく重ならなくて、むしろ想像の成瀬文香が実在している絵里子を一瞬、圧倒しそうにもなった」と彼は語っている。これはあの文通が彼にあたえた影響のひとつなのか、それとも、彼はもともとそのような人なのか。読み手にとっては岐路に立つ自分を感じる部分だろう。ついでに書いておくと、この文通相手からはあとになって手紙が届き、中年の男性の写真が同封してあった。「成瀬文香は男性だった。成瀬文香は看護婦ではなかった」と、新井田は言っている。
彼はこの絵里子とやがて別れる。そしてそれ以後、恋人と呼べるような女性はいないままに、大学を卒業し、目黒にある小さな商社に就職する。絵里子に関しての言葉はきわめて少ない。かたばみ荘の古びた様子の具体的な描写や記述にくらべると、絵里子に関しては、これだけかよ、と驚くほど言葉は少ない。しかし、それだからこそ、ここから先の展開に関して、期待は高まる。いったい、なにがどうなるのか。
東長崎から目黒まで通勤出来ないことはないけれど、いま少し近いところへ、という思いから彼は馬込に引っ越す。かたばみ荘を出るにあたっては、次にそこに住む人を見つけて交代する、という不文律のようなものがあり、彼は大学の後輩を次の住人として確保する。この住人、片川三郎にアパートの部屋を引き渡したあとの、東長崎の駅まで歩くときの彼の気持ちが書いてある。これを読むと、その次を、さらに強く、読みたくなる。ここまでで三十ページだ。あとまだ二百ページある。こういうのを、読者の幸せ、と呼びたい。