カトリック教会には聖人がいる。そこに名を連ねる人物は、社会的に偉大なことを成し遂げた者とは限らない。むしろ、生前は世にほとんど知られない人も少なくない。聖人は例外なく死者で、それもその呼称で呼ばれるには少なくとも十年ほど、長ければ数百年を要する。例外もいる。現在のローマ教皇から数えて二代前のヨハネ・パウロ二世は、通常は没後五年を経なくては始まらない調査が逝去の二年後に始まり、六年後には福者に、そして八年後には聖人になった。聖人になるためにはまず、「福者」にならなくてはならない。この小説の主人公ペトロ岐部は、二〇〇八年に福者になった。
彼は一五八七年、現在の大分県国東市国見町岐部に生まれた。名前の「岐部」はここに由来する。亡くなるのは一六三九年、禁教令下でキリスト教を宣教したため仙台で捉えられ、江戸で処刑された。五十二歳だった。
一六一四年、第二代将軍徳川秀忠は、キリシタン禁制の命令を発し、外国人宣教師、力ある日本人の信者に集結するように告げる。翌年、本作の主人公がローマに向けて旅立つところからこの物語は始まる。彼は若いときから有馬にあったセミナリオ(初等神学校)で神学、哲学にラテン語も学んでいた。知性に優れていただけではない。天は彼に頑強な肉体も与えた。あるときローマに渡ることを決する想いが彼に宿る。その魂の光景を作家はこう描き出す。
数年前に帰天したわが父ロマノの墓の隣に、深い穴を掘り、あるパードレにミサを立ててもらい、遺体を念入りに葬った。土をかぶせる前に遺体の右手の中指を切り取った。その指をローマまで持っていき、殉教者の鑑なる人物の聖遺物としてローマの墓地に埋葬してもらおうという決心がそのときに不意にわが心に生まれたのだ。
この一節には、彼の生涯と悲願が込められている。「中指」はもともと、マティアス七郎兵衛というキリシタンの総元締をつとめた者の手にあった。秀忠の迫害が熾烈を極めるなか、周囲の人々は信仰を隠そうとしたが、この男の選びとった道は違った。自ら総元締であることを高らかに名乗り出たのである。当然、男は斬首される。だが、そのために他のキリシタンたちの命は守られた。
こういう人物をキリスト教では「殉教者」という。だが、教えに、というよりも、道に殉じた者である、と考えた方が彼らの境涯に近づけるかもしれない。彼らが命を賭けて守ろうとしたのは神学や教義ではなく、キリスト――彼らが神であると信ずる――へとつながる道だからだ。不可視な天への階梯の守護者となること、それが殉教者の悲願だった。
こうした人物の体の一部をカトリックでは「聖遺物」と呼び、深く尊ぶ。それはすでに肉体の一部ではなく、この世に顕現した聖性の証として崇敬の対象となる。それを自らの手で本山であるローマに届け、先人の名と存在を永遠に刻むこと、それがペトロ岐部の内なる使命となった。マティアス七郎兵衛の願いは、そのまま若きペトロ岐部に移り住んだのである。長崎港から半島を南下した野母という港から和船で旅だち、マカオ、ゴアを経て、聖地エルサレムに行く。彼は日本人として初めて彼の地を踏んだ人物でもある。その後、ローマに渡り、正式に司祭に叙階される。ローマで神学を究めること、それが彼のもう一つの願いだった。
このとき、日本を離れてすでに五年の歳月が流れていた。そのままローマにいれば、彼の名前はまったく別な姿で私たちの記憶に残っていただろう。だが、彼は禁教令下の日本に戻りたいと上長に告げる。二年間ローマに滞在、その後ポルトガルのリスボンで誓願を立て、一六二三年三月に日本にむかって出港した。ゴア、アユタヤを経てさまざまな苦難に遭遇しつつ、鹿児島に到着するのは一六三〇年七月、七年の歳月が流れていた。のべ十五年の歳月を旅に過ごすことになった。小説では、この十五年の日々がときに烈しく、また、あるときは静謐な筆致で描かれる。だが、じつは、この間、ペトロ岐部がどのように行動したかの記録は残っていないのである。
作家はそれを想像の言葉で歴史の底から浮かび上がらせようとする。小説家の力量は、事象をあるがままに書くことにもあるのだろうが、あり得たことをよみがえらせるところにも働く。この本を読むとき、読者は、遠くに主人公の姿を眺めるのではない。言葉が扉となり、潮風を感じ、ときに難破しそうな船のゆれを感じることもあるだろう。
日本のキリシタンの弾圧の歴史を考えるとき、見過ごしてはならないのは、時の権力者の命を受けて、それを実行した者たちが、かつてはキリスト者だったことである。本書でも秀忠の命を迫害と呼ばれる域にまで徹底させた黒田長政、かつてはイエズス会の宣教師として中核的な役割を担っていたフェレイラ、そしてのちにペトロ岐部の処刑を命じる井上筑後守政重がそうした人間として登場する。
信仰の道における試練はときに、内なる敵によってもたらされる。マカオに到着するとペトロ岐部は現地のコレジオ(高等神学校)で学ぶことになる。しかし、彼はここで過度に不当な差別を受ける。ある管理者は、日本人にはキリスト者たるべき資質が欠けているとすら言った。そればかりか、迫害と死しか待っていない日本に引き戻そうとさえした。しかし後年、司祭となったペトロ岐部はいっそう弾圧が激しくなっていることを知りつつ、故国に帰ることを志願することになる。かつて強いられ、抗った道を、時に守られた人は、自ら選び取って進むことがある。神父となって故国で苦しむ者に寄り添うこと、それが彼の内なる声の促しだった。
本書は、ペトロ岐部の生涯を描き出しているだけではない。その生活と人生を深みで支えているイエスを今に顕現させようとする試みでもある。片鱗であってもイエスを体現すること、それが聖なる者たちの願いであることを作家の眼は見逃さない。