本書は、二〇〇〇年一月から『群像』に連載されている長編自伝小説の第四部であり、二〇〇八年九月号から二〇一〇年十二月号掲載分がまとめられたものである。語られた時間は一九六六年から一九八〇年まで。民族新聞社を退職し組織を離れた後、いくつかの文学賞を受賞し作家となった趙愚哲(チョウチョル)は、金大中事件や民青学連事件、光州事態など激動する時代のなかで「北であれ南であれ、わが祖国」という信念に基づいて〈祖国統一〉に向けて活動していく。
本作には、二つの画期的な意味がある。一つは作者が自らを素材に「在日」二世の生を語り日本人の「戦中」や「戦後」の集合的記憶に亀裂を入れていることであり、もう一つは自伝文学の在り方を根底から問い直している点である。そういった意味で、本作は従来の「在日」文学を踏襲しつつその枠を突き抜けるスケールをもっていると言える。
自伝文学の草分けといえばルソーの『告白』であるが、作者も「『告白論』を内在させた文学」を創作の基点に据えており、本作を『告白』との対比で読むこともできる。だが、十八世紀のルソーと二十一世紀の作者を決定的に隔てているのは、「私」と「記憶」に対する感覚である。「言語論的転回」を経たポストモダンな現代において「私」も「記憶」も言葉で編まれた物語に過ぎないのならば、ルソーのように〈まったく真実のままに正確に描かれた〉と語ることはできない。作者が自らの生を告白する方法として自伝ではなく自伝小説を選んだのは、事実と虚構の間(あわい)にある小説という形式でしか光を当てることのできぬ真実を語ろうとしたからに他ならない。
〈愚哲〉という三人称と〈ぼく〉という一人称の混在や、〈ぼく愚哲〉という言い方はそのことを端的に示している。自伝は現在を句点とする一つの物語であり、経験として整序された過去の出来事は現在から意味づけられ形を変えて語られる。出来事の渦中にいた「私」と現在それを意味とともに了解している「私」を峻別し、過ちを犯す可能性を孕みつつ常にその時々の限られた状況のなかで選択することしかできなかった自らの在りようを描こうとすれば作中人物と語り手が分離する小説の語法を用いるしかないのである。
本書で注目すべきは、朝鮮総連を離脱した一九六〇年代から一九七〇年代の二度の韓国訪問を描いた部分である。「革命神話」による歴史の歪曲と個人崇拝の傾向が強まる組織のなかで良心を問われ、宋東奎(ソンドンギュ)の拉致事件をきっかけに組織を離れた〈愚哲〉の姿は作者の年譜の行間を埋めるものとなっている。そして、朝鮮労働党員となった〈宋東奎〉から〈そのライン〉で韓国に入国することを提案された〈愚哲〉は一九七〇年十月、日本に戻れなくなることを覚悟で秘密裡に禁断の土地を踏む。
幼い頃母に手を引かれて渡って以来三十年ぶりに祖国の南の地を踏みしめた〈愚哲〉は、〈日本からみても朝鮮半島からみても、異邦人にすぎないとおもいこみがちな弱い情念と疎外感〉に囚われていたことに気づき「北であれ南であれ、わが祖国」という思想に辿りつく。この信念が一九七二年に韓国〈K新聞社の公式招待〉で訪韓した〈愚哲〉の何ものにもおもねらない姿勢となって現れるのだが、作家としても「在日」二世としても大きな転換点となったこの一九七〇年の韓国訪問は〈愚哲〉を思いもかけぬ出来事へと導いていく。自らの訪韓を伏せたまま先輩の文学者がもちかけた南北の文化関係者による〈合同祖国視察団〉に反対した〈愚哲〉は、同胞文学者たちから〈査問〉を受け、暴力を振るわれる。そして〈卑怯者〉、〈転向者〉という〈悪い噂〉を流され孤立していく。
この問題が一九九〇年代に作者の韓国国籍取得を巡って再燃し、いくつかの雑誌でそれぞれの主張が交わされたことは記憶に新しい。だが、その背景にこのような事情が横たわっていたことは筆者を含め多くの読者が初めて知ったのではないだろうか。告白とは「誰かが誰かを非難する」ためにではなく「みずからがすすんで過去の不足点を埋めるために」行われるものである、という作者のエッセイの一節を噛みしめつつ、私はこの件を作者の真摯な文学的告白として読んだ。
本書の末尾近くには、一九八〇年五月に〈愚哲〉が〈H大学〉で行った集中講義の場面が描かれている。大教室に入った彼は〈開けた窓という窓にまで男子学生が鈴なりになっている〉のを見て驚く。韓国の光州で進行している出来事の意味を求めて学外からも聴衆が押し寄せたのだ。〈みなさん、きょう私は光州(グワンジユ)の事態についてのべたいとおもいます〉と〈愚哲〉は学生たちに語り出す。
一九八〇年五月二十六日、作者も寸分違わぬ言葉で講義を始めた。筆者も窓の外からこの講義を聴いた一人である。教室に充満した熱気に比して静かな声だったと記憶している。〈愚哲〉は、光州事態がこの連続講義の開始直後に起こったのは偶然に過ぎないが、そこに〈ある必然的なもの〉があったと感じている。私もその場に居合わせたことを、それが窓の外という位置だったことを〈愚哲〉とは異なる意味で必然的だったと思う。それから三十年余、文学を通して李恢成という作家を見つめ続けることになったからである。
小説という形で作品を発表しなかった十年間があった。その間、三十四年ぶりに故郷サハリンを訪れ、在日文芸誌『民濤』を主宰した。ソ連を訪れ、その地で暮らす「高麗人(コリョイン)」と出会った。それは「在日」することの意味を捉え直す日々でもあった。そして一九九〇年代には再び小説を書きはじめる。 本書は〈愚哲〉が〈「在日」の問題に否応なしに逢着した〉ところで擱筆されている。韓国の自生的社会主義を模索する青春群像を長編小説に描いた〈趙愚哲〉はどのような道筋で〈「在日」の問題〉へと進むのだろうか。 語られるべきこと、語ってほしいことはまだ多く残されている。第五部の連載再開が待ち望まれる。