『愛についての感じ』というタイトルから受ける印象の通り、最初は茫漠とした愛にまつわる力が、ふわふわと彼方此方に散らばって降ってくるのを、やみくもに手を動かしてすくおうとするような、そんな不確かさがあった。ゆっくりと拡散するそれらを集めようとすればするほど、不思議と生温かい不安がこみ上げてくる。
収録されている五編の物語の中で生きる彼らを、私はちゃんと見えているだろうか? 彼の願いを、彼女の言葉を、きちんと拾うことができただろうか? 私は彼らが好きだった。だからこそ、理解したいと願った。だが、そう願うことすら彼らを傷つけてしまったら、という小さな懸念。そんな姿勢こそが、彼らを世界の片隅に押しやっているのだとしたら。
もしかすると大きなお世話かもしれないそれらの不安は、けれども、かみ合わない隙間を吹き抜けていく綿毛にくるまれた愛とともに、この小説の息遣いを伝えている。
「初恋」に登場する彼の名前はレザーフェイス。死体の皮を剥ぎ取り、マスクのように自分の顔に張りつけた、映画に出てくる有名な連続殺人鬼と同じ名前。誰も彼の本当の名前を思い出せない。彼自身でさえも。だから彼はあくまでレザーフェイス。
そんな彼にふいに訪れた初恋は、たくさんついているコートのボタンを、丁寧に掛け違えていくように進行する。レザーフェイスが本当はレザーフェイスじゃないのに、レザーフェイスと呼ばれているのと同じように。誰かが見ている世界と、彼が見ている世界、その差異を埋める言葉を探すとき、レザーフェイスは途方にくれてしまう。自分は一体誰?
「シュガーレイン」の彼は、自分が腐っていると思い込んでいる。幼少時に負った全身やけどで、肌がピンク色になってしまったから。かつて想いを寄せていた委員長と少しだけ似ている風俗嬢と出会ったことをきっかけに、やがて彼は古びた洋館に二人だけで暮らす双子の兄妹、三日月と暦と生活をともにすることになる。敵は洋館に現れるモンスターと宇宙人。彼らは自分たちが暮らす聖域を守るため、日々戦わなければならない。
もろくて美しい、思い込みと頑なな視線によって成り立つ世界。それは危ういものの上に組み立てられた積み木のように、一人がなにかの真実に近づけば、気がついたときには別の誰かが消滅してしまう危険をはらんでいる。あとに残ったのは彼らの想いの残像と、鈍い光を放つ魂の切れ端が一つか二つ。たとい、風が吹いてそれらを消し去ってしまったとしても、手を伸ばして得られかけた理解と切実な叫びが、目に見えぬ塵あくたのように、空中を静かに舞い続ける。
とはいえ、美しいだの儚いだの、そんな言葉だけでこの本をくくってしまうのは、あまり正確ではないだろう。「ピッグノーズDT」(DT=童貞)での、十六歳の売れないホストが、好きになった女性の胸に触ろうとぐるぐると思考を振り回すくだりは、心底馬鹿馬鹿しくて笑ってしまうし、頭をこんがらがらせた末になぜか行く羽目になった新宿二丁目で、とんでもなく悲惨な目にあうところなんか、うわわわ、勘弁してあげて! と同情しながらも、やっぱり馬鹿馬鹿しくて爆笑してしまう。
適度なところで、たまった空気がかすっと抜けていく。全力疾走のくだらなさ、必死、そう、あまりに必死だから笑ってしまうのだ。いつだって滑稽さと切実さは表裏一体で、真面目なやつほど陰で笑われるのが世の常だが、次から次へと現れては消えるおかしな人たちが共通して、ときに浮世離れした生真面目さを備え持っているものだから、最後の最後のところで、笑っていいものか、と迷いが生じたりする。彼らを笑ったことが、いずれこちらにはね返ってくるかのような居心地の悪さを感じてしまうのだ。大丈夫ですか? とそっと肩に手を置きたくなる衝動。たぶん彼らは大丈夫ではなくて、きっとそんな場当たり的な心入れなど鬱陶しいだけのはずなのに。
ベタだな、と思いながらも、五編の中で一番強く心に残ったのは、最後に収録された「新世界」だった。
東からやってきたムショ帰りのヤクザと、西の色街で身体を売る女の一瞬の邂逅。この作品だけ全体の中で少し毛色が違っており、踏み出すのか踏みとどまるのか、境界線の前後でたゆたう男女が、とろとろと流れるような大阪弁の会話に彩られて綴られていく。
男は云う。
「生きてるのに誰にも知られずに、死を待つのは、死んでいることとどう違うのかわからなくて。」
色街と極道、どちらも足を洗うことが困難な世界で生きる二人は、これからどこへ向かうのか。おそらく、一歩踏み出しても、踏みとどまっても、簡単に平安は手に入れることができない。その、落ちていくようなやるせなさ。
彼方此方に散らばった愛のようなものが、やがて一ヵ所に集まって、一つのなにかの形を成していく。愛について、愛に似た、愛にまつわる、愛とかいう奇奇怪怪な魔物を、戸惑いつつ追い求めずにはいられない。滑稽で愛おしい、少しだけ風変わりな彼らのように。
ちなみに、装画は漫画家の市川春子さんで、これまたちょっと見入ってしまうような素敵な仕上がりになっている。