長いあいだ連れそった親愛なる死者は、あとに遺された者のなかでどんなふうに留まりつづけるか。それはむろん一様ではない。ひとそれぞれ千差万別、様々な形があるだろう。だが、どのような形であろうと、過不足なく文字で言いあらわすとなったら、決して易しいことではあるまい。まして親愛の文字を綴る者が作家である場合、仕事の難しさはかえって倍加するのではないか。死者にむけられるこまやかな感情の襞が重なりあうと、精確な言葉をさぐろうと心を砕くあまり、作家の筆は動きにくくなるかもしれないのである。
津村節子『遍路みち』を読みながら、何度かそんな感想がうかんできた。この短篇集に収められた五篇のうち、標題作をふくむ三篇は夫君の吉村昭氏の死と結びついている。実名こそ記されていないけれども、そしてその死を追想する語り手は変名になっているけれども、親愛なる死者が何者であるかすぐに推察がつけられる(「あとがき」には、「夫吉村昭の死後三年余経って」とある)。
育子と変名されている話者の女性は、夫の死をめぐって深い悔恨の思いに囚われつづけている。膵臓癌の手術を受けたあと余命に限りがあると知った夫は、点滴の管を自分の手ではずして死期をみずから選んだ。
「夫のその決断に彼女は気づかなかった。それが心の底に重い「悔い」として留まりつづける。「罪」とまで思いつめる。「夫が死ぬ時を定めようと考えていることに気づかず、ベッドの脇に卓袱台を置いて期限の迫った仕事をしていた。仕事をしている妻に、夫は何も言わずに死んでしまった。(……)。
愛する人を失った喪失感は、やがて年を重ねていくうちに埋められてゆく。(……)。だが育子の場合取り返しのつかぬ罪である。罪に対する悔いは、一生癒えることはない」。
「気づかず」、「何も言わずに」という過去の事実の追想、「罪」、「悔い」という現在の心事の認知は、連作ふうの三篇の最後に当る「異郷」に書きとめられている。そして三篇はおよそのところ、時間の経過にしたがって書かれているのだから、夫君の死の直後に始まった心の重圧は、すこしも変らぬ強さをずっと保ちつづけていることがよく分る。強くはあるけれども、しかしそれは低い音域をたゆたいつづける。基調音となって、通奏されるのである。
引用した一節に書きとめられた「罪」、「悔い」という言葉だけとると、いかにも重苦しく聞えかねないと思うが、作者の筆づかいは五篇を通して淡々と静かに運ばれてゆく。語られる事柄と語りかたの調子はかならずしも密接に対応しているのではなく、そこにはむしろ際立った対照を指摘することもできる。だからといって、その間に溝が見られるとか、阻隔が生じているとかいうわけではない。それどころか、淡彩の色調によって、「罪」と「悔い」の消しようのない苦痛や悲哀の鼓動が、言わず語らずにしだいに強められてゆくようにも感じられる。
しかし苦痛や悲哀が基調であるとはいえ、すべてがその一色で塗りつぶされてしまうわけでもない。苦痛や悲哀に寄りそうようにして、やがて慰めや解放を求める気持ちが生まれはじめるが、それは基調の重圧に屈した結果ではない。方向の違う二重の状態ではあるけれども、それを矛盾とか迷いと考えるのは見当はずれも甚だしい。というのも、人性の法則というか、ひとの心の自然な動きがそこには示されているからである。
こうして「夫の死後、三ヵ月近く経ってから」、彼女は四国の「遍路」の道を廻る旅に出る。その旅のあいだも、十分に介護できなかった責任を思いつめたり、彼女が「網膜中心静脈閉塞症」を患ったとき、夫が親身に労ってくれたことを思いだしたり、「悔い」はいつも追いかけてくる。亡夫の一周忌を済ませたところだという、旅の仲間になった女性の悲しみに接して、苦痛や悲哀をますます深めたりもする……。
夫の声が聞えてくるような幻聴、家の近くの公園の一隅にたたずむ夫の姿が見える幻覚。「遍路みち」につづく「声」で、その種の幻聴・幻覚が語られるのに出会って、不意を打たれた思いをする読者は誰もいないだろう。いいかえれば、二篇の連作としてのつながりは順序よく運ばれていて、「罪」と「悔い」の軌道の上で深められてゆく心情の歩んでゆく経過が、無理なくそこに描きだされる。現われるべきものが現われたと感じさせられるのは、その経過がひとの心の動きの法則に適っているからであるにちがいない。
次の「異郷」に移ると、そのような印象はいっそう鮮明になるはずである。「みんな忘れるため」と娘に見ぬかれながら、夫の死後三年ほど経って熱海に十日ほど滞在した日々を追想するこの一篇でも、彼女の心は忘却や慰藉とは遠いところに、ますます強く固着しているのがはっきり見てとれるように書かれている。「五十年の結婚生活の間に楽しいこともあったはずなのに、思い出すことは最期の一週間の悔いばかりだ」という一節は、ことのほか荘重にひびくはずである。
「罪」と「悔い」がしだいに重く深いものになってゆく過程は、ここでは死者とともに生きる過程と一致している。「身辺のことを綴った」、「殆ど事実に近い」――作者は「あとがき」にそう記しているけれども、しかしこの作品はひとりの作者の私的な「事実」の枠のなかに、ひっそり閉じこめられてはいない。死者とともに生きるにはどうすればよいか、ひとそれぞれが向きあわねばならぬ問題にたいする、これはひとつの答えである。