巨人伝説

野口武彦

2200円(税込)

本当の主人公

出久根達郎

「巨人」とは、井伊直弼(いいなおすけ)のことである。

直弼は幕末の彦根藩主で、徳川将軍を補佐する最高位役職の大老であった。

天皇の許可を得ずに諸外国と仮条約を結んだ。反対する尊皇攘夷の志士たちを弾圧した。いわゆる、安政の大獄である。その恨みを買い、桜田門外において暗殺された。

こんなところが大方の持つ、井伊直弼という人物の、基礎知識だろうか。

時代小説ファンなら、直弼の右腕として活動した長野主膳や、京の公家侍・島田左近、左近の手先、猿(ましら)の文吉、妖婦といわれた村山たかの名を、同時に思い浮かべるだろう。いずれも、安政の大獄で暗躍する面々である。悪役として、登場する。彼らは小説の中だけの人物ではなく、実在の人物である。

直弼の周囲の者たちは、ひと癖もふた癖もあり、考えも行動も複雑怪奇なので、果して彼らが本当に歴史上の人間なのかどうか、疑ってしまう。小説家が想像で生みだした人物ではないのか。

だいたい、安政の大獄など、人が人にあんなにも残虐なふるまいができるものだろうか。弾圧は事実としても、小説家が誇張して描いていないか。あるいは、言い伝えが時代と共に増幅されていないか。すなわち、伝説である。

本書の著者は、伝説をひとつひとつ検証し、どれが真実であり、どれが根も葉もない嘘か、資料によって見極めようとした。それが執筆の動機でなかったか、と思う。

ところが、言葉で説明できない謎が、次々と出てくる。たとえば、直弼と長野主膳の出会いである。いや、出会いは偶然であったとしても、二人が相思相愛としか言いようのない仲になる。出会った当時の直弼は、井伊家の部屋住みの庶子とはいえ、仮りにも三十五万石の若様であり、長野は出自も不明の、田舎の国学者である。たちまち意気投合する必然の何かが無くてはならない。二人は馬が合うどころではない。日ならずして直弼は、長野と師弟関係を結ぶ。年は同じだが、師匠は得体の知れぬ国学者の方なのである。

何が直弼をして三尺下がらせ、長野の影を踏ませなかったのか。

この辺は、想像の域だろう。理屈でなく、情念の世界だからである。

かくて、著者は、本書を小説である、と断った。確証のない部分は想像で補った、と。

断る必要はなかったのではないか、と思う。小説と読むか、歴史ドキュメントと読むか、読者の判断にゆだねてみるのも一法(いっぽう)だった。どちらだかわからない、というのも、読者にとっては、本を読む楽しみの一つである。

小説、と規定されると、鼻白んで二の足を踏む読者もいるはずだ。

何食わぬ顔をして、はい、井伊直弼伝ですよ、あるいは直弼に関るもろもろの人や事件の話ですよ、と差しだされた方がよかった。騙される喜びは、読書の最大の醍醐味だろうから。

なんでこんなことを、くだくだしく述べるかというと、本書はめっぽう界面白いのだ。その面白さが、小説ゆえなのか、歴史ドキュメントのせいなのか、はっきり区分けできなく、読者としてはもどかしい気分になるからなのである。

たとえば、こんなくだりがある。

日米修好通商条約に断固反対の孝明天皇が、九条関白に直筆の文書を下す。それには、アメリカの言うままに許したなら、自分は伊勢神宮を始め神明に対して申しわけなく、とあり、次の文言が遣われている。

「身体ここに極まり、悲痛限りなし」

著者は『孝明天皇紀』の巻七十五より引用している。原文そのままでなく、口語文に訳している。更に、「傍点引用者」と断り、こう述べている。

「傍点を付した辞句はふつう『進退ここに極まり』とあるべきところ。宮内庁蔵版の『孝明天皇紀』にミスプリントがあるとは思えないので、これは天皇自身のいわゆるフロイディアン・スリップであろう。天皇の苦悩は身体症状を発し、肉体的苦痛まで感じていたのではないか」

つい、うっかり書き間違えた一言が、深層心理の真実を期せずして表わしている。まるで、小説のようではないか。しかし、ここは事実なのである。

幕府は天皇や公卿の反対を封じ込めるため、三万両という大金を用いた。彼らに、ばらまいたのである。当時の公卿は大変貧しかった。屋敷を賭博場に貸したり、花札の絵を描いたりしてしのいでいた。

食い詰めて非行に走る者もいる。公卿の使いが、菊の御紋章入りの文箱を持って往来を走り、わざと人に当って文箱を落し割る。

大切な箱をこわした、屋敷に戻るとお手討ちにされる、このまま逃げる、と泣き言を言って当座の費用をせびった。これを、「文箱(ふばこ)割り」と称したよし。使いがこっそり小遣い稼ぎをしていたのでなく、主人の命令である。

年が越せないから邸に火を付ける、と風下の町家をおどして、百両ゆすり取った話もあるという。作り話のようだが、そうではない。

そういう生活をしている中に、突然、三万両という賄賂が使われたのである。著者はこれを「攘夷利権」という。

この利権をめぐって、皮肉なことが起こる。分け前に与れなかった若手の公卿が憤慨し、騒ぎだす。条約の勅許を出すな、と猛反対する。幕府のもくろみは、はずれた。

本書の主人公は、実は直弼ではない。長野主膳でもない。表舞台には出ないが、直弼の囲い女である村山たかである。たかは長野とも情を通じあう。宮仕えしながら、公卿の情報を長野に伝える。安政の大獄にも関る。直弼暗殺後、捕えられ生晒(いきざら)しにされた。だが明治の世までしぶとく生きのびている。このたかの性こそが、本書の眼目であり、小説なのである。