「彼は、そこで、ネルヴァルのように、星との会話を考えることだってできたのだ。それなのに、そんなことはいっさい考えないで、眼のまえの人間のながればかりながめていた」。漂泊の詩人金子光晴の言葉だ。同じく漂泊の詩人たるネルヴァルを本格的に論じたものではない。時にはぐさりと音立てる様な描写が冴えて思わず固唾を呑まされる、が目立たず取り沙汰されぬ晩年の掌編に、ふと紫煙を追う視線のように茫として挟みこまれた描写にすぎない。が、まずは妥当な形容ではないか。「彼は、そこで、ネルヴァルのように、星との会話を」。
そうだ。長くネルヴァルは星と会話する如きロマン派詩人と見なされて来た。その謎めいた自殺、貧窮と狂気と彷徨の果ての極寒のパリの朝の光に晒された縊屍体から逆算された詩人の姿は、「抑鬱の黒き太陽」を凝視し「神はいない!神はもういない!」「すべては死んだ!」と絶叫した錯乱せる歌い手として、精神病院に入退院を繰り返す宿痾を負った呪われた作家として、また失恋した一人の女性の追憶に多くの他の女性の面差しを重ね合わせ額づくべき女神の姿をすらその彼方に見る幻視者として、そして驚くべき博覧強記、古今東西の宗教や密儀や神話に通暁し錬金術や占星術、数秘術やタロットに至るオカルト的な博識に支えられた幻想文学の代表者として讃仰されて来た。ところがこの野崎氏の書物のネルヴァル、『東方紀行』の彼はすこし趣が違う。無論他ならぬ彼のことだ。「星との会話」を欠かすわけもないし、その結末は誰もが知っている。だがこの書物で、そして『東方紀行』のなかで息づくネルヴァルは狂える幻想詩人ではおよそ無い。ここで彼は「眼のまえの人間のながればかりながめてい」るのみならず、「群集の中に匿名の人間として素知らぬ顔で一人、紛れ込む」ことも辞さぬ闊達で楽天的な社交性すら備えている。そのあてどなく気ままな、ユーモラスで時にはスラップスティックに近くなる愉しげな道行きが、しかも同時代に類例を見ない敏捷で公平な知性をも携えて進むのだ。念を押して置く。『東方紀行』は主著とも言うべき最も大部な著作であり、決して書誌の傍系に属するものではない。そしてこのような平衡感覚に満ちた旅行記について論ずるに、野崎氏以上の適任者を思いつくのはおそらく難しかろう。
オリエンタリズムとの関連で『東方紀行』を論ずるという姿勢自体はネルヴァル研究史の大きな流れのなかにある。本書は、オリエンタリズムを痛烈に批判したサイード自身がネルヴァルには別格のオマージュを捧げているという事実を指摘することから事を始める。東方へ向かう前から「旅の作家」だった彼が、ロマン派の先達がものした旅行記に見られるオリエントへの偏見と侮蔑と無理解に満ちた常套を軽々と飛び越えていく様が、簡明で率直な筆致で生き生きと描き出されていく。ネルヴァルはそこで、オリエンタリストの旅行記に見られる「東方への巡礼」の重々しさとはかけ離れたあどけないまでの健やかな無頓着さを伸び伸びと発揮し、行き当たりばったりの脱線と道草を重ねる「遊歩者(フラヌール)」として歩み続ける。女性と異邦の香りに導かれながらも女性蔑視に陥らず、イスラームに代表されるオリエント文化の「寛容」やその制度的・文化的な知恵の巧緻を擁護し、西洋側の蔑視や無理解に抗してそれらを正そうとする粘り強い努力に欠くことがない批判的知性の人として言葉を紡ぐ。明澄な昼そして濃密な夜の中を漫(そぞ)ろ歩いては異邦人と愉快だが真摯な対話を続ける、異国の女性たちの姿に心惹かれ「太陽の寵愛を受けた」イワナシの黄色い花から漂う香りに陶然とするばかりではない彼の姿は、まさにオリエンタリズムの対象となった人々の様に貶められると同時に美的には称揚される、精神医学の対象とされる芸術家たることからその軽快な足取りのままにどこまでも逃れていくかのようだ。
だが問題は残る。野崎氏がネルヴァルを擁護するのは当然だ―誰かをまた何かを非難するためだけに一書をものしてどうしようというのか。だが、それでも。読者たるわれわれにとって、何か不安の震えが抑え切れぬ瞬間が幾度となく訪(おと)なうのだ。例えば女奴隷を買って仏語を教えようとする光景や、ドルーズ派の開祖ハーキムの教えを大麻の酩酊ゆえとする牽強付会は、本当に免罪できるのか。異国の女との婚姻が「安全なエキゾチズムの範囲を超えた地点にまで突き進むふるまい」か。ネルヴァル自身が英語由来の新語を用いて冒頭で宣言する通り彼は「ツーリスト」でしかないのでは。多くは述べずにおくが、これは後にクリミア戦争へと至るオリエント世界の没落と危機の時代の旅なのだ。
だが、それはもう、良い。最終章で少しく述べられている様に、狂気の詩人としての彼から離れんとしてもなお、この軽快な旅の足取りが遂に盟友ゴーティエの言う「夢遊病」「徘徊」と重なる瞬間がやって来ることを、われわれは知っているのだから。もはや遊歩でも漫歩でもツーリズムでもなく、病み狂う自失だ、彷徨であり漂泊であり徘徊だ。まさに自身からさまよい出る狂気へ、彼は辷(すべ)り降りていく。彷徨、か。この快活で豊穣ですらある旅自体も、実は狂気と隣り合わせていたのではなかったか。と、不意の、昏く悲痛な疑念を、誰が抱かずにいられよう。ネルヴァルはA・デュマへこう書き送っている。「自分を詩人と信じることが、私の最後の狂気となるだろう。批評によって私のこの狂気をなおしてほしい」。彼を批評する者をすべて絶句させるこの文言を、敢えてここに置く。批評の批評たることを免れず、絶句を僅かしか分かち持つことができぬ無力ゆえに。狂おしい影を滲ませた陽光の旅の記録へ、われわれはこうして誘われている。多くをわれらに与えてなお報い無き彼の狂気と歌に、それでも寄り添おうとすることしかできないなら。