もう二十年以上前になるが、「構造主義生物学」あるいは「構造主義科学論」といった理論を構築しようとしていた私は、必要あってかなりの哲学書を読んだ覚えがある。腑に落ちるものもあり、腑に落ちないものもあり、歯が立つものも、歯が立たないものもあったけれど、理論構築のためのインスピレーションを得ようと思っただけで、もとより大哲学者たちの思想を完璧に理解しようなどと大それた事を考えたわけではなかった。それにいろいろ読んだ結論は、たいがいの事は最初から自分で考えた方がてっとり早いというまことに傲慢なものであった。
著者の中島義道氏は、最近は生き方本みたいなものも沢山書いているが、元来はカント研究者で、カントに向かい合う態度は私とは正反対で、カントへの愛に溢れている。「四十年以上もカントに付き合っている私は、やはりカントを愛しているのだと思います。ある種の『カント教徒』のように、あばたもえくぼも一緒くたに崇拝するのではなく、(中略)掛け値なしに偉大だと確信しながら、いたるところに見られるその思い込みや思い違いもなかなか人間味があって『かわいい!』とほくそえみながら、愛しているのです」と本書の最後に書き付けている。
本書は、そんな著者が、『純粋理性批判』を読んではみたもののチンプンカンプンだが、それでも少しは理解したいという普通人のために、カントの読み方の奥義を伝授しようとの、まことに有難い(考えようによってはおせっかいな)一冊である。
著者が本書で噛み砕くのは『純粋理性批判』のほんの一部「純粋理性のアンチノミー」のさらに一部、岩波文庫のページ数にしてわずか五十六ページである。それを三百四十ページを超える本書で噛み砕こうというわけであるから、その噛み砕き方は半端でない。
序章の「難しくて易しいカント」と終章の「易しくて難しいカント」の間の十五の章で『純粋理性批判』の中でも難解とされるアンチノミーを噛み砕くのだが、ただ噛み砕くだけではなく、ところどころに哲学書を読むためのヒントが書いてあって、これがなかなか秀逸だ。たとえば、「カントの思考回路にそってわかることと自分の実感にそってわかることとの差異をたえず自覚していることは、哲学をするうえできわめて重要なことです」。あるいは「抽象的な概念をできるだけ具体的な概念に置き換えて読むこと」。
それでは肝腎の中身をのぞいてみよう。まず、アンチノミーにおけるカントの目標についての話が第一章にある。これは「純粋理性のアンチノミー」の冒頭部だ。
「超越論的理念が現象の綜合における絶対的全体性に関するものである限り、私はこれらの理念をすべて世界概念〈Weltbegriff〉と名づける」とのカントの文章に続いて、「これはアンチノミーを読み解く鍵です。われわれは『世界全体』のあり方を論じるとき、とかくそれを認識の対象と考えてしまう。認識の対象ならそれに関するある命題Sは真か偽のどちらかです。しかし、理念なのだからそうはならない、これを示すことこそアンチノミーにおけるカントの目標なのです」との著者の文章が続く。
どうですか。カントの文章はチンプンカンプンでも、著者の文章はとてもよくわかるでしょう。そうです。この本は〓み砕く対象であるカントの文章を全く読まないで、中島さんの文章だけを読むと、魔法のようにスラスラ分かるとても不思議な本なのだ。最初、中島さんの文章だけをざっと読んでから、カントの文章を含めて全体を通読した方が分かり易いと私は思う。もっともそんなことを書くと、「『カント語』を修得するには相当の時間と労力を必要とします(最低十年?)」と断言する著者に叱られるかもね。
さて本文を読み進めると、理性と悟性の違いについて述べた第二章と、無条件者の必然性を述べた第三章の次に、第四章「矛盾対当と反対対当」がくる。これが理解できないとアンチノミーは理解不能だと著者は述べる。「ソクラテスはギリシャ人である」が真ならば「ソクラテスはギリシャ人でない」は偽になり、逆に後者が真であれば前者は偽になる。これが矛盾対当。一方、「すべての人は幸福である」が真であるとき、「すべての人は不幸である」は偽になるが、前者が偽であっても、後者は直ちに真にならない。これが反対対当。アンチノミーはもっぱら反対対当に関するものだ。
第六章からは、いよいよ第一アンチノミーから第四アンチノミーに関するカントの文章の噛み砕きに入る。第一アンチノミーは「世界は時間的始まりを持つか? また空間的にも限界を有するか?」こういう深遠な命題に論理を唯一の武器として追っていく、これがカントの魅力なのでしょう。頭脳ゲームとしてはとても面白く、それで人生を棒に振る人が現われるのも理解できる。しかし、ほとんどの人にとってどうでもいいこともまた事実だろう。
第二アンチノミーは「世界は無限分割できるか?」、第三アンチノミーは「自由は認められるか?」、第四アンチノミーは「絶対に必然的な存在者はあるか?」。第二アンチノミーから第三アンチノミーを読解するあたりが本書の白眉で、著者はカントよりもカントのことがよくわかっているようである。
これらの議論を読んで私が改めて感じるのは、著者も指摘するようにカントの自然観は極めて素朴で常識的だということだ。カントは自然法則や自然界における実体の存在を信じているようだ。私は自然科学者だけれども、自然界に法則や実体が自存することを信じていないし、自然界で排中律が成立することも信じていない。これらは人間の脳が生み出す仮構だと思っている。そういうわけで、この本は面白いけれど、私はカントとは無縁なのである。