部屋

エマ・ドナヒュー  土屋京子・訳

2750円(税込)

「人」という絶望と希望

村田沙耶香

 読み終えたあと、表紙にある「部屋」という題名を、再び目でたどる。読む前とはまったく違う印象を与えるその文字は、恐ろしくもあり、けれど美しくも感じられる。

 この「部屋」というのは、もちろん、主人公の少年、ジャックとその母親が暮らしていた部屋を示すものだろう。けれど、私には、それ以外の「部屋」の存在が強く印象に残り、読み終えてもしばらくは、その残像が頭の中から消えることはなかった。 

 この物語は「部屋」でジャックが五歳の誕生日を迎えた朝から始まる。ジャックの視点で語られる楽しい誕生日の光景は、心温まるようで、どこかへンだ。ジャックのユーモラスな語りの隙間から少しずつ見えてくる、異常な状況。ここが普通の部屋ではなく、二人は監禁されていて母親は男に強姦されており、ジャックはそうして生まれた子だということが、少しずつ明らかになっていく。

 19の若さで男に監禁された母親にとって、ジャックは希望そのものだ。ジャックのために抵抗をやめて男に従い、夜は男に見られないように洋服ダンスの中にジャックを隠し、ジャックのためにさまざまな工夫をして彼を育てている。規則正しい生活をして、部屋の中でできる運動を行い、部屋の中のものを何でも工夫して教育に使う。それはジャックのためでもあるし、母親自身が希望を失わないためでもあるように思える。ジャックを何とか無事に育てること。それだけが、母親を支えているように思える。

 それでも、限られた環境の中ではどうしても説明しきれないこともある。「部屋」を出たことがないジャックには、「部屋」に「外」があるということが理解できない。部屋にはテレビがあり、そこには人間が映っているが、それはホンモノではない。ホンモノはジャックと母親だけ。そんな世界に、ジャックは生きている。ある出来事をきっかけに、母親は大きな賭けに出ることを決意する。ジャックに全てを話し、脱出を試みるのだ。「外」があるということすら実感が湧かないジャックは、それでも母親の言いつけを守って死体のふりをし、部屋から脱出する。ジャックの言う「《外》の中」へと飛び出すことに成功し、二人の極限状態は終わったかに思えたが、その先には新たな困難が待ち構えている。「部屋」を出た先には希望に満ちた、平穏な生活が待っていると、母親も、読者である私も思っていた。その先にさらに続く、精神的拷問とも言える極限状態に、背筋が凍りながらも、ページをめくるのをやめることができなかった。

 ジャックが脱出するまでの前半を読んでいたとき私はある意味幸福だった。ジャックと母親に感情移入し、誘拐犯であるオールド・ニックというわかりやすい「悪」を憎んでいればよかった。そのとき、私は自分を正義だと信じ込んでいた。けれど、「外」に出てからの絶望は、私を混乱させた。私たちは、より「人間」である人たちの与える絶望の中に引きずり込まれていく。私たちの中にも潜んでいる、誰かの「絶望」である私たちの姿が、そこにあるように思えてならないからだ。