LIFE

松波太郎

1540円(税込)

空想と人生

野崎 歓

 三十を過ぎて定職をもたず、バイトも長続きせず、築四十三年の借家の自室に寝ころがって、午後の奥様向け情報番組をゆるゆると観る。そんな毎日を送る、かなり覇気に欠けた、ひょっとするとすぐさまダメ男の烙印を押されそうな人物が表題作の主人公である。

 実際これはダメ男だなと思いながら読んでいく。猫木豊という名前からして脱力感が漂っている。とはいえ病院の待合ロビーで「猫木(ねこき)さま」と呼ばれると「猫木(ねこぎ)です」とすぐさま言い返したりしているところから見ると、いちおうの自負心は備えているらしい。いや、それどころではない。冒頭から彼は自分が一国の国王であり、「“国民ホール”」と「“国民公園”」にぎっしりとつめかけた十万人以上の国民を相手に演説をしているなどという驚くべき空想にふけっているのだ。そのファンタジーの中で、猫木はだれもが「毎日だらだら且ぶらぶら」してさえいればいいという楽園のような国の「初代国王」なのだ。しかも、三十をこして「もうトシ」で、ごろ寝ばかりで腰が痛いし、やるべき務めは果たしたのだからと国民に向けて退位の演説をしているというのが物語の始まりである。

 王様とは大きく出たものだが、猫木とは、「ぼくも あなたも わたしも きみも みーんな王様」などといういささか気恥ずかしい歌詞の曲(題して“LIFE”)を「CDラジカセ」で流しながら、そうしたファンタジーをぬくぬくと肥大させている男なのである。落語の与太郎の現代版を思わせもする徹底した「無産ぶり」のいちいちに、こちらとしてはたえず突っ込みを入れながら読むほかない。ちょうど猫木自身が午後の奥様向け情報番組を、ひとりで突っ込みを入れながら観賞しているように。

 しかも作者は、自らの主人公のうだつのあがらなさを苦笑まじりに描き出すのみではない。与太郎的なキャラの男が試練に立ち向かっていくさま、彼の人生が新しい意義を獲得していく様子を説得的に示そうというのである。そのきっかけとなる出来事が、同棲相手の女性・宝田の妊娠である。

 同棲といっても部屋は別々という勝手なスタイルで暮らし、経済的にはもっぱら猫木が宝田に依存している。懐妊を告げられて猫木は「〈……オレにこども〉」と驚き、「〈……生活圧迫すんだろうな〉」といちおう心配しつつも、「〈二代目の誕生か〉」とまんざらでもない心地になっていく。その能天気な主人公に、作者は厳粛な現実を突きつけ、のんべんだらりとした彼の人生に揺さぶりをかけようとする。胎児の体重が順調に増えず、宝田は不安の色を濃くする。助産院での自然分娩を強く願っていたにもかかわらず、宝田は結局、病院で帝王切開の手術を受けざるをえなくなる。そして誕生した赤ん坊も問題を抱えていた。

 そうした展開の中で、ぐうたら男がどんな夫ぶりを、父親ぶりを見せるのか、それまでの役立たずが一転してどんな活躍を示すのかが見どころである。とはいえ実際のところ、猫木の中身はほとんど不変、読者はその目覚ましい変貌に立ち会うわけではない。だが、厄介な現実に向かい合う気迫の薄弱さや、思慮の足りない気楽さといった、はたから見ていかにも歯がゆい彼の資質の数々が、実はなかなかの美質でもあったことにわれわれは気づかされるのである。彼のうちに深く備わった、ほとんど根拠のない楽天性こそが、困難な時になって思いがけず貴重な輝きを放ちはじめる。こういう一見取り柄のない男をパートナーとして選んだしっかり者の女性、宝田の選択も意外に正しかったのかもしれないと思わされる。

 かつて斎藤美奈子は『妊娠小説』(一九九四年)において、『舞姫』以来の男性作家による小説を呪縛してきた物語図式を鋭く抉り出し、“受胎告知→中絶→別れ”というパターンを提示していた。猫木も“受胎告知”を受けて「……身におぼえがないんですけど」と一瞬、伝統に寄り添うかのような態度を示す。だがそれ以降のふるまいにおいて、彼は実にやすやすと、別段思い悩むそぶりもなしに、何も深く考えずして「妊娠小説」の呪いをふりはらってしまう。決して頼もしいタイプではないにもかかわらず、松波太郎の主人公は実のところ文学史上の快挙を実現したのである。

 しかもそこで彼が、冒頭に見せていたような空想癖を捨てないままでいる点が面白い。まことにひとりよがりな「王様」ファンタジーは明らかに、彼の人生を支え、助けるものとしてある。標準体重をはるかに下回る赤ん坊とご対面して「〈やっぱオレの息子だ〉」「〈フツーのやつとはやっぱちがうんだ〉」と思わずほくそえんでしまうあたりにも、猫木のおろかしい「王様」ぶりはうかがえる。だがそれは、彼が父親であることをいそいそと引き受けた者としての感動的な相貌を帯びる瞬間でもある。ひとの親とはだれしも、猫木のごとく、勝手なファンタジーに支えられたおろか者にほかならないのではないか。さっそく二代目国王の演説をうっとりと思い描き始めるその姿は、われわれの人生にとって空想がどれほど大切な下地をなしているかを理解させてくれるのだ。

 本書所収の他の二つの短篇も同じく、空想と人生のあいだの建設的(かつ、ときとして破壊的)な相互関係を活写している。そこには時空を超えて繰り出されていくのびやかな物語のあり方が見て取れる。なお猫木豊に関しては、松波のデビュー作「廃車」がすでに猫木を主人公としていたことをつけ加えておく。この憎めない人物とぜひまた再会したいものである。