自分を好きになる方法

本谷有希子

1430円(税込)

世界中のリンデのために

青山七恵

 自分を好きになる方法……というタイトルだから、そんなはずはないだろうけど、もしかしたらひょっとして、この小説を読んだあと自分は自分を今より好きになっているかもしれない。と期待しながら、読み始める人もあるかもしれない。実際私はそうだった。

 自分を好きになる方法があるのだとすれば、それはもちろん知りたい。自分を好きにならなくても生きてはいける、でも自分を憎みながら生きていく人生はつらい。自分って本当にダメな人間、と思う回数より、できることなら、自分は自分でけっこう良いところがあるのかもしれない、と思う回数を増やしたい。何かの折に一度でも、もっと自然に、積極的に、生活に支障をきたさない程度に自分を好きになりたいものだとうっすら思ったことがある人ならば、きっと主人公のリンデを気の毒な女の人だと突き放して憐れむことはできないだろう。

 小説は六章から成っていて、それぞれ16歳、28歳、34歳、47歳、3歳、63歳の、リンデという女性の人生の一場面が描かれている。

 16歳のリンデは女友達二人とボウリングをしているうちに、自分が二人を少しも好きでなかったことに気づいて、その晩、絶縁状を書く。28歳のリンデは恋人と旅行中、喧嘩の末にホテルに置いてきぼりにされて、別れを決意する。ところが34歳のリンデはその恋人と結婚している。結婚記念日を過ごすために夫婦は再び同じリゾート地にいるけれど、会話はかみ合わない。47歳のリンデは夫と離婚していて、クリスマスパーティーでとある男性とせっかく良い感じになったのに、自ら心を閉ざしてしまう。3歳のリンデはお昼寝の時間、〓をついて先生に責められていたところ、隣の布団にいた男の子にかばわれる。飼い猫に先立たれ一人住まいの63歳のリンデは、今日のやることリストを作り、これが全部できたら自分を好きになれるだろうと思うけれども、十二個のうち二つしか達成できない。

 淡々と、時にユーモラスに、切実に描かれていく六つのエピソードのなか、最初に置かれている16歳のリンデの話が特に印象的で、小説の最後の一ページまで余韻をひく。しっくりこない友達に囲まれながら、リンデは、まったく知らない誰かと何もかもを一から創り直す日のことを夢見ていて、「その誰かがほんとうに一緒にいたいと心から思える魅力的な相手で、その誰かもリンデとずっと一緒にいたいと心から思ってくれている」ことを想像し、「その子といれば、自分はもっと楽しいことを次々と考えつく人間になれる気が」している。彼女の人生の長い時間はこのファンタジーの追求に費やされ、それから四十七年経っても未だ出会えていない理想の友人を想ってハーブティーの香りをかいでいるリンデが、可笑しくもせつない。

 どうしてこんなことになってしまったのか、リンデの人生の六つの場面を自らの来し方に重ねつつ、読者は考えずにはいられないだろう。リンデは別に、すごく根性のひねくれた、いやなやつではないし、彼女を不幸だと決めつけることは誰にもできない。とはいえ、もっとほかの道があったのでは? とおせっかいながらも考えてしまうのだ。リンデはリンデなりに、決断し、行動してきただけなのに。その決断のきっかけになるのは、いつも些細なことだった。女友達が夢の話ばかりするとか、恋人がアイロンの電源を入れておいてくれなかったとか、夫がやたらとクイズを出してくるとか……。ただ、そういう、第三者からしたらどうでもいい、些細なことこそが、実人生においては本当はとても危ない。そういうもののせいで、何かが決定的に、それまでと違ってしまう。

 老いたリンデが頭のなかで、いつまでも会えない宅配便業者とこんな会話を交わす場面がある。「ほんの少し何かが予定とズレてしまうことってありますよね。ええ、本当によくあるわよね。いつのまに、こんなところまで来てたんだろうって顔を上げてびっくりしない?(中略)戻れないなら、最初に教えてほしかったわよね」……そう、リンデの言うとおり、戻れないなら本当に、最初に教えてほしいのに、人はそういう決断の瞬間を何度も迎えながら理想と違う自分の人生を生きていくしかない。それまでと違う、まっさらな人間に生まれ変われるような気に何度なろうが、期待はいつも裏切られる。紛れもない自分自身によって、そんなつもりはないのに、たった一度の自らの選択で、みるみるずれていってしまう瞬間の連続によって。

 読者たちは、この小説のなかに自分を好きになる方法を見つけることはできなくても、リンデという人を好きになることはできる。少なくとも私は、彼女に話相手が必要ならば、自分が行ってじっくり話を聞いてみたいと思ったし、悲しそうな顔をしていたら、リンデは悪くないよと言ってあげたかった。でも彼女が求めているのは、そんなひとりよがりの慰めなどではないはずだ。常に他人に何かを期待しているように見えるリンデだけれど(だからこそ、それがいつもちょっとした齟齬を産んでしまうんだけど)、もしかして本当に彼女が求めていたのは、お昼寝のときに助けてくれた男の子のようなさりげない優しさ、そういうものを他人から与えられることではなく、自分から誰かに与えることだったんじゃないかとも思う。でも彼女には、そんなチャンスがあんまりめぐってこなかった。リンデがリンデとして生きる限り、なかった。そういうことを、いったい誰に責められよう? だからせめて、いろいろあった一日の終わり、小説内では描かれていない長い眠りの時間に、それでもめげずに生きていこうとする彼女の心につかのまの安息があればいいなと思う。私のなかのリンデのためにも、世界中のリンデのためにも。

 自分を好きになるよりも、誰かの安らぎを祈っていたほうが、人生はまだ生きやすい。