愛の夢とか

川上未映子

1540円(税込)

生命の花の匂い

尾崎真理子

 芥川賞を受けた『乳と卵』のあと、文庫化された『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』(以下『そらすこん』)を読んだ。大阪弁が増幅する無数の波に揺さぶられながら、その才能に感嘆のあまり暗澹としたのを思い出す。こんな凄いの書いてもうて、未映子はん、これからどないすんのん……。

 今から十年前の夏、ブログに書かれ始めた、上京したての一見気ままな日々の記録。そこには詩人、小説家となることをすでに約束されていた作者が生み落とした生きのいい作品の卵が、今にも弾けそうにうようよ蠢いていて、それは先々出来上がって行くであろう著作リストが、あらかじめ明かされているようでもあり、怖いくらいだった。

 川上未映子的には、この世界は〈強制参加の本気のロシアンルーレットゲーム、一律に制限時間付き〉の、いつ弾が当たるかわからん非常事態下であって、〈何事も起らない日常と、突然殺されたりする日常の、いったいどっちが奇跡に近い出来事やろうか、どっちも奇跡か、どうも奇跡。やあ奇跡〉。流血格闘型の両親を持ち、生まれてきたことの不安をたっぷり心に含んで育った、この作家オリジナルの音楽&読書療法を試みながらの青春の闘病記が『そらすこん』。もう一回それを読んで、いよいよ初の短編集『愛の夢とか』収録の七編と向き合うことにした。

〈夕方になればどこかからピアノの音が流れてくる〉。『そらすこん』の中にあるこの書き出しの一編が、表題作「愛の夢とか」を発想した卵だったのかなと見当つけたりはしたけれど、そこからの展開、結末の飛躍は想定を遠く離れて、未映子はん、いつの間にこんなに魂、遠くに飛ばせるようになったんやろ。

 川の近くに家を買った二ヵ月後にとても大きな地震がきて、それで半ば意識的にばらの花とか植物の鉢植えで日常を演出し始めた若い主婦の〈わたし〉。ある日、いつも聞こえてくるピアノの音、それを弾く当人である隣の上品な初老の女性に招かれ、以来、一つの目的のために彼女の家を訪れるようになる。

 いったいどういう暮らしをしているのか。互いに何も聞かず話さぬまま、〈誰かの耳があると必ず間違えちゃうのよ〉と話す隣の女性の宿願は、リスト「愛の夢」をミスなく弾き通すことで、わたしはただ、その夢を見届けようとするだけ。午後の居間に差し込む光はまっすぐなやさしさに満ち、女同士のダイアローグに安っぽい意地悪さなんてどこにもない。他愛ない筋書きなのに、いつまでも余韻は去らない。二人の縁を取り持つわたしからの手みやげはマカロン。〈ところでマカロンを買うときのあの気分っていったい何だろうといつも思う。自分が掛け値なしの馬鹿になったみたいな気持ちになっていっそ清々しいような気持ちになるあの感じ〉。

 ほんとにそう、と頷きつつ、先日行った新宿伊勢丹でひらめいたことを思い出した。リニューアルされた館内を歩いていて、七色のマカロン色のようなこのファッションフロアに、一番似合うのは川上未映子……唐突にそんな思いが湧いたのだった。根拠のない想像でもない。今や日本の文学と文化の主題を支え、経済までも上向かせる勢いの「かわいい」。その哲学を誰より日々追求し、自身でその概念を体現し、世界に布教している存在は、この人をおいてほかにいないのではないかしらん。

 それは女子による、女子自身が楽しむための「かわいい」で、萌えの要素は含むにしろ、どこかの自治体がしくじったみたいな、お金持ちの男性目線から産業化を目論んだ「カワイイ」とは別のもの。女子は女史でも女児でも、まして婦女子、腐女子でもなく、婦人や夫人にも収まらず、いくつになっても母になってもかわいい女子は、女子。

 午前四時に振られるフリーター女子を描いた「アイスクリーム熱」から、短編集は静かに始まる。「日曜日はどこへ」の主人公は、高校時代からの恋人と交わした「その小説家が死んだら必ず会うことにしよう」という十四年前の約束を思い出し、思い出の植物園へ急ぐ独身女子だ。

 恋愛中あるいは新婚の女子が無口な男性に間断なく甘えて泣いて訴えて。そんな夢のように幸せで不安な時間を惜しむように書かれた「いちご畑が永遠につづいてゆくのだから」と「三月の毛糸」。前半に連なるこれらの短編に出てくる彼女たちは、その手で刹那に世界の真実をつかまえようと、感情と五感、六感まで研ぎ澄まして生きている。

 とはいえ現代という行き詰まった消費社会の森の奥には、道に迷った物欲の化身もたたずんでいて、「お花畑自身」のように世にも恐ろしい、深々とした物語も後半に姿を現す。何不自由なく暮らしていた熟年の主婦は、夫の経営する会社がある日突然倒産すると、二十年もかけて丹精して育てた花畑のある家を、そっくり手放すことになる。あきらめきれない主婦はかつての自宅の門をくぐり……。

 デルフィニウム、ワイルドストロベリー。趣向を凝らした彼女の庭は、あの東北は「神町」の、菖蒲家の四姉妹が育った花畑――二〇一一年に結婚した夫、阿部和重氏による『ピストルズ』の世界までつながっているような。不思議な感慨にも捕らわれてしまう。

 そして最後の「十三月怪談」は、愛し合った夫を残して病死する妻の、死後も続く夫への愛の告白。妻、時子の渾身の一人語りは力業で、ここには小島信夫の『抱擁家族』、倉橋由美子の「霊魂」、そのほか昭和小説の匂いもそこかしこに漂っていて、ああ、なんて旺盛な吸引力だろう。死を語れば語るほど、今を咲き誇る川上未映子の生命の匂いが立ちのぼる。そして『そらすこん』から再び、〈私は、私の、人間女子一生の仕事をやらねばなるめえ〉という、決意のことばがよみがえる。あの一冊には百三十六個もの卵が、ひしめきあって並んでいたね。