十数年前の冬、親友と旅行に行った。
細かい説明は省くが、ロンドンの墨色の空の下で、私はずっと、すべてをもうこれで終わりにしようと考えていた。自由になりたい。もうこれで最後。二十代の入り口に立ったばかりの私はデタラメで、私の親友は、今思い出しても胸が苦しくなるくらいにもっとずっとデタラメだった。石畳の道を歩きながら、彼女の横で歯を食いしばって泣くのを耐えていたことを今も覚えている。その日は私の、誕生日だった。
ロンドン市街から、郊外のホテルに戻るバスの中で、彼女と二人、隣り合って座った。一日ずっと不機嫌を貫いていた彼女は、疲れていたのかすぐに眠ってしまった。ようやく気持ちが楽になることが許されて、眺めた窓の外に、とてもゆっくりと美しく、景色が流れていった。心が静かになり、このままバスがずっとホテルに着かなければよいのに、と祈るように思った。
彼女と私はこれで別れるのだと、そう思っていた時に、彼女の頭がふと私の肩に触れた。私の親友は、とても無防備な顔で、頭を私に預けて寝ていた。それを見たら、息ができなくなって、どうしようもない気持ちに胸を押された。そして思ってしまった。ああ、私、この子が好きなんだ。
その時、私は、この先きっと、何度も何度も、今日と同じことを繰り返すのだと確信した。このデタラメな友達を愛し、傷つけ、彼女に傷つけられながら、私たちは同じように続くのだと、それを覚悟して受け入れた気持ちにすら、なっていた。
若さというのは、傲慢だ。
今、私の横に彼女はもういない。
『七緒のために』は、「七緒のために」という名の、誰よりも「私のための」物語だ。嘘つきで、デタラメで、だからこそ、抗いがたい魅力を放つ親友・七緒に振り回され、磨耗し、傷つけられた主人公・雪子――「私」を、この物語は懸命に救おうとしている。これまで恋愛小説の名手とされてきた著者が、彼女たちの“友情”に臨んだ傑作である。
放課後の美術室で、雪子が七緒から手紙をもらうところから、物語は始まる。白い絵の具が溶けないバターのようにこびりついたパレットを、雪子は洗っている。ルーズリーフに書かれた思わせぶりな文章、不安を煽るような言葉をわざと選んでちらつかせる七緒。
転校してきたばかりの雪子が仲良くなった彼女は、教室の中で浮き上がるような存在感を放っていた。七緒というのは本名ではなく、名簿の名前で呼ばれるのが嫌いだと語った彼女がそう呼んで欲しいと申告した名である。
周囲よりも鋭い感受性を持った彼女たちは必然のように惹かれ合う。一度だけ鳴らして折り返す電話のルールや、夜の道の待ち合わせ、同じものを同じ言葉で見ることのできる友情の幸福さ、張り合うように囁かれる無神経な言葉のやり取りさえ、思春期の友情は眩しく、そして、不穏だ。
七緒は雪子に、日常からさらに浮き上がるような嘘をつき始める。原宿でスカウトされて読者モデルをしている、プロの小説家と親しい、年上の男が経営するライブハウスで寝泊りしている――。それは、誰もはっきり嘘だと指摘できないような嘘だ。雪子は信じ、信じようとし、見え隠れする話の綻びに戸惑い、疲れ、そして、疲れ果てる。話の中の華やかな嘘と並行に、現実にある雪子の恋心や憧れさえ混ぜ込んで、七緒が聞かせる物語に、雪子は翻弄される。雪子は彼女を、わかろうとする。何が現実で、嘘で、本心で虚勢なのか迷い、足場を何度も揺るがされながら、それでも七緒とともにいる。けれど、投げる言葉は届かない。どんな事件も彼女たちを分かつことはなく、だけど、終わりは訪れ、そして、ラスト、雪子の視界から一つの枠が取り払われた時、私は彼女に自分を重ね、そして、冒頭の記憶に思いを馳せた。
すべての女子の中には、「七緒」がいる。そして、この物語は、そのすべての女子の中にいる「七緒」を救う。
それは、思春期の女が嘘をついたり、少なからず作中の七緒のような激しさを持っているから、というような単純な意味ではない。
すべての女子は、ある一時期に、自分にとっての「七緒」の思い出を、生涯かけて抱える。振り回された記憶、振り回した記憶。被害や加害といった明確な線引きや、常識さえ超えた場所で、何が正しいのかを見失うほどに考え、傷つきすぎるほどに傷つき、傷つけ、それでも彼女と離れることだけはまったく考えられないほどに魅力的な友達と出会い、そして、わからなくなる。作中、雪子がそうであるのと同じように。
恋とは違う。
そして、だからこそ、果てがないことへの絶望を覚える。恋愛ならば可能な明確な別れや終わりが選べない、そんな友情の絶望すら、若さの特権なのだと、その時、私たちは気付かない。
あれだけ、昼も夜もなく苦しめられたように思った親友が、今もう横にいないことにふと気付いた時、大人になったとされる私たちに残るのは、ただただ、取り残された胸の中の救われなかった七緒であり、私である。著者は、その救われず、報われなかった私たちに、今一度、この話を通じて、懸命に手を伸ばしたのだと、私には読める。
あの濃密な一時期が否定されるようなものではなかったこと、出会ったことを不幸だと断じるのを誰にも許さない強さをもって、著者は私たちのあの日々を全身で肯定する。そこにある甘くない、強靭とすら言える優しさに震え、作家・島本理生の放った誠実な光と熱に、私はかつての女子の一人として、ありがとう、と涙を流す。あの日に戻れないかわりに。なによりも、私の中の、七緒のために。